瀕死の徳川綱吉の命を救ったのは大根だった
有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」⑧お茶の水女子大学附属中学校
■そも、大根とはどんなものなりしや?
では綱吉の命を救った「大根」には、ほかにどんな逸話や歴史、薬効などが隠されているのでしょう?
大根の原産地は諸説あるものの、中央アジアやコーカサス地方などだと言われています。しかし平安時代中期に完成した律令法令集『延喜式』に「大根(おおね)」として登場。栽培方法や活用法まで書いてあるほど、古くから日本にある馴染み深い野菜なのです。
ここでちょっと寄り道しましょう。
『延喜式』は3代格式の1つで、「完全体で残っている」唯一の格式です。全50巻・約3300条から成るもので、927年に一応の完成を見ますが改訂を数度繰り返し、実際に施行されたのは967年。実に40年も経ってからの施行でした。
他の2つ『弘仁式』『貞観式』は、ラッキーなことにこの2つとその後の式などを取拾編集したものが「『延喜式』なので、全文がわからずとも内容などは推測でき、古代日本律令や当時の日本国内の様子を知ることが出来る貴重なものです。
しかしこの『延喜式』すらも原本は最早現存せず、室町・戦国時代の写本もほぼ散逸。現存しません。
では「いつの写本が完全形で現存しているのか」ですが、それは公家の「九条家に伝来している写本」で、なんと「国宝」に指定されています!
もっとも現在は東京国立博物館が所蔵していますが。
写本の時期は10~11世紀とされていて、平安時代。それもまだ施行されて数十年ぐらいという時期に写されたものです。
さすが藤原道長の嫡流・藤原北家で五摂家(摂政・関白を輩出できる家柄)の1つ、九条家ですね(他にも大阪府の金剛寺に、こちらは12世紀前半=平安末期の写本が3巻ほど保存されています)。
■大根は「江戸の三白」の1つに数えられたほど身近な存在
話を戻しましょう。江戸の町には江戸っ子が好きな食べ物のひとつとして、「江戸の三白」なるものがありました。名前の如く「白い食べ物3種類」のことです。
「白米・お豆腐・大根」がそれでして、全部白いのは偶然です。
大根を世界で最も沢山食べて消費しているのが日本で、九州など温暖とされる地域でも名物があるほどです。しかし大根本人(!)は本来、冷涼な気候風土を好むのだとか。日本という土地とウマが合ってくれて良かったよかった。
江戸時代も一番多く消費されていたのが大根で、大根料理書が出されたほどでした。
大根は昔からさまざまな薬効あり、本草学者で儒学者の貝原益軒は『養生訓』にこう記しています。
「大根は菜の中でいちばん上等である。いつも食べるがよい」
「脾を補って痰を去り、気を循環させる」
大根は咳止め、痰切り、喉の腫れ、風邪、解熱に効果があり、古くからそう言われてきています。咳止めは飴などに使われることから想像しやすいと思いますが、解熱に効くとはあまりイメージが沸かないかもしれません。
大根おろしを足の裏につけると熱が下がることから、解熱に効果があると言われているんですよ。
ビタミンAやビタミンB、カルシウム、鉄、ナトリウム、リンなども多く含むため、それで脚気に薬効があって、綱吉の脚気は治ったのです。
他にも、ジアスターゼなどの酵素も多く含むことから、胃や腸を整えるなど整腸効果もあります。
それにしても、綱吉がどれぐらいの量の練馬大根を食べたか気になるのは私だけでしょうか。
- 1
- 2